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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

1年目のオーケストラ時代を思い出す 

 地震、おさまりませんね。
 今は、Facebookで九州にいる知人たちの安否を知ることができて、感謝です。
 落ち着かないことと思います。

 私にとって、バレエの衣装デザイン/製作を勉強する為に渡英してから、1年目のケント州の高校生時代、主に3人の方/グループとの出会いで、ピアノの道に進むことを決めました。
 もちろん、1人は師匠のDr.S。 もう一人は、通っていた高校の音楽の先生。 そして、大切なもう一人というか、団体が、当時所属していた地域の青年オーケストラ。
 ピアノに関してはDr.Sですが、音楽の楽しさ、最初はピアノではなくて、打楽器で音大に行きたいと思い始めたのです。 その音楽への思いを生まれさせてくれたのが、この青年オーケストラ。 一時は、本気で打楽器でロイヤルオペラハウスのオーケストラに入りたい!と思っていました。

 毎週金曜日、周囲の中学、高校生が集まって(私が通っていた高校の講堂)、最初の1時間半はウィンド・オーケストラ。 そしてその後の1時間半は弦楽オーケストラにジョインして、オーケストラ。
 私は打楽器をしていました。
 どうしてこんなことをしていたのか、というと、ホストファミリーの子供たちがここに所属していたから、私も入れられたわけです。
 
 打楽器というのはただ叩くだけではなく、非常に繊細で面白い楽器だ、と知ったのもこの経験。
 
 この青年オーケストラの主体を作り、オーケストラの指揮をし、そして、私が通っていた高校がある街の音楽コミュニティーの基盤になっていらした方が、急にお亡くなりになりました。
 
 中、高校生にからかわれながらも、愛されていた指揮者です。
 クリスマスコンサートで、アンダーソンの『そりすべり』になった時、指揮棒を振り下ろした瞬間に、打楽器の私たちは、サンタクロースの帽子を被って、睨まれました(後で怒られた)。
 指揮が理解できなくて、入るべきところで入らないで注意されたことが何度もありますが、凄く楽しかった思い出ばかり。
 Dr.Sだけなら、音楽を志したかも正直分からない部分があります。

 指揮者の奥様は世話役をなさっていましたが、英語ができない私にも本当に良くしてくださいました。
 オーケストラの最後の日、悲しくて悲しくて、でも、あの時私は練習を聴いていただけ(皆は夏休みのクロアチアツアーの練習をしていたから)ですが、あの時のエルガーの威風堂々第4番は今でも耳に残っています。 あの時から有名な第1番よりも第4番が好き。 でも、聴く度にあの時の風景と自分の心境が蘇って、今でも涙が出てしまう作品。

 私はたった1年間しかあのオーケストラで過ごせなかったのが、今思い返してもとても残念です。
 
 あの素敵な街でオーケストラ、合唱、その他尽力を注がれた方の死。 
 Facebookなどで関わっていらした方々の追悼文を読んで、たった1年だったけれど、あそこに入れて頂いたこと、感謝しています。
 
 私の音楽へ進む気持ちを作ってくれた方々の中のお1人の死、とても残念でした。
 RIP Jeff

Posted on 2016/04/17 Sun. 21:16 [edit]

category: 音楽

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