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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

野獣と紳士 

 私が師事した二人の先生方。
 
 私にとって、先生との出会いが無ければここまで来なかった、と言い切ることができる、師匠、Dr.S
 そして、王立音楽大学修士号時代に1年半ほど師事した、イギリス人、ゴードン。

 ゴードンの方が2,3つ年が上。
 
 この二人は、美女と野獣、ならぬ、紳士と野獣。
 もちろん、ゴードンが紳士で、Dr.Sが野獣。
 2人は一度も顔を合わせたことはありませんが、Dr.Sは一方的にゴードンに凄い敵対心を持って、嫌っています。
 ゴードンが大学の食堂で、日本人の女の子たちが集まっているところに行ったら(その中に門下生がいた)、ゴードンを知らなかった子たちが、「ワー、キャー!!」と言い、それに慣れているのです。
 対して、Dr.Sは「ワー、キャー」と女の子たちに言われるときは、その格好良さに感嘆されるわけではなく、コーヒーをこぼした、とか、コーヒーにお砂糖を5袋入れる(これは、奥様には内緒)、とか、そういう時。

 イギリスでの知名度は、ゴードンの方が何倍も上。
 リーズ国際ピアノコンクールのファイナリストも門下にはいます。
 対して、Dr.Sは私みたいのに時間と労力を使って、できない人に教えることを愛している人。

 要するに、とっても真逆な人たちに私はピアノを習いました。
 周りには不思議がられますが、知名度のあるゴードンよりも、知名度が無いDr.Sを私は大学院卒業後に選びました。

 この二人、音という見えないものではなく、わかりやすく説明すると、以下のようになります。
 これから先は、あくまでも私の想像です。 でも、意外と近い線を行くと思います。

 実験

 2人に、10枚の同じ白い紙を渡します。
 1枚に一つずつ、円(○)を書いてもらいます。
 どうなるでしょう??

 ゴードンは、10枚、全く同じ場所に、同じ大きさの円を、同じ万年筆の筆圧で、フォトコピーしたかのように、描く。
 Dr.Sは、1枚目を描いたところで、2枚目の紙を準備している間に、最初に使ったボールペンがどこかへ行ってしまって、10枚描く間に、3,4本の筆記具を使うことになる。
 そして、10枚の円が、全て違う場所、違うサイズで描かれている。

どちらも間違っていないのです。
 ゴードンの、研ぎ澄まされた10枚全て同じ円を評価し、感嘆する人もいれば、Dr.Sの全部違う円を面白いと思う人もいる。
 
私は、Dr.Sに近いと思います。
 例えば、円を、1枚で円になればよい、と解釈して、半円を二つ。 もしくは扇形を4つ、3つ書いたとしましょう。
 これをDr.Sに持っていけば、凄く興味を持って下さるでしょうし、そこから発展して、何かを加えて下さる。
 円を描く為に、色々なペンの使い方(タッチ)を閃いて、教えて下さることでしょう。
 でも、ゴードンに持っていけば、間違いなく、書き直し。
 きっと、コップを持ってきて、まずは、円を描く練習、みんな同じサイズで同じ円が描けるように指導されるでしょう。

 どちらも間違いではありません。
 好みの問題です。

 すぐに血液型を考えるのは日本人の悪い癖ですが、私の予想では、ゴードンはA型。
 Dr.SはB型。 私もB型。

 私には1年半のゴードンとの時間も大切なものでした。
 あの時間がなければ、もっと自由奔放なピアノでした。
 それを、ちょっとまともにして下さったのが、ゴードン。
 ゴードンの方が私よりも、ずっと日本人的なピアノの指導のようです(経験者談)。
 
 どうしてこんな話をしているのか、というと、先日のオックスフォードでのフェスティヴァル、実は審査員はゴードンでした。
 古典派、ロマン派の時は、講評も本当に重箱の隅をつつくようなもので、スフォルッツァンドの数が足りない、とか、クレッシェンドを始める場所が早すぎる、とか、そういうものばかり。
 うまいけれど、私は途中から頭痛になってしまった演奏を凄く評価していましたし、その方が実際に1位を取っていました。
 とにかく、ゴードンの趣味とあわなければ、いけないのです。

 夕方以降の審査では、それまでとゴードンの講評の内容が別人のように変わりました。
 そこでは、初めて、音楽性、音楽の流れ、音質、ということが評価の対象になってきました。
 そして、私も賞に入りました。
 これは、あくまでも私の想像です。
 きっと、長時間狭めの部屋で講評を書きながら(達筆すぎて、凡人の私にはほとんど読めない)真剣に聴いていて、耳も肉体的にも疲れてくるのでしょう。
 よって、段々、自然と心地良い流れとか、音に気が行くようになる。

 私のマズルカに対して、
「マズルカのリズムが素晴らしかった。 ルバートが絶妙で、でも、それが計算されたものではなく自然に聞こえたのがよかった」
 とのこと。
 これに対して、私は???です。
 先生は、私が計算しつくし、なおかつ自然に聴こえた、と思っていらっしゃるのです。
 私は、計算なんて全くしていなくて、その場の空気でルバートをしていく。
 だから、自然に聴こえて当たり前。
 きっと、先生はこれを理解できないでしょう。
 レッスンを受けていた当時、私の英語の問題ではなく、お互いに何を話しているのか意味が分からず、会話が宙に浮いたことが何度もありました。

 
 先生の元を離れてから、7年半。
 間に、推薦状を書いて頂いたり、通訳の仕事があったり、その他諸々、何度も顔は合わせております。 
 先生に、弾きに来なさい、と言われるものの、先生の前で弾いたことはありません。
 よって、今回は公で聴いて頂く機会があって、よかったな、と思います。
 
 しかし、学生時代も毎度のレッスンが緊張だった私は、7年半ぶりに先生の前で弾くのは、超が何個も着くほどの緊張度。
 鍛えられます。
 
 

Posted on 2016/02/01 Mon. 14:53 [edit]

category: 音楽

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