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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

音楽って 

 再来週のコンサートに向けて、さらいなおさなければならぬことは多々あるのに、先週のコンサートで浮き上がってしまった心の傷が酷すぎて、結局は音楽にすがる。

 次に何をしあげようかな、と考えながら、10分程度のコンクールでも弾ける曲(私を放っておくと、コンクールで弾くには不適切な小品ばかり増えていく・・・)をやらないと、と思いながら楽譜棚を見ていて、手に取ったのは、昨年手を付けて、左手骨折の後遺症で中途半端で投げ出してしまった、スクリャービンの幻想曲 作品28。

 曲仕上げの参考、というより、音楽が完全に耳に入っている方が譜読み暗譜が私の場合はるかに早いので、音源を聴きまくっていますが、今の私の心理状態にぴったりはまりすぎる、というか、大好きではありながらも、この曲をこんなに親身に思えたのは初めて。 反対に春頃に手を付け始めて、他が忙しくて横に置いてしまったシューベルトの幻想曲は今の私には純粋すぎて弾けないのです。
 プロとしてやるのであれば、自分の気持ちの状態で弾きたかったり弾きたくなかったりする曲がある、というのは決して良いことではないでしょう。
 ですが、これが音楽のすごいところだな、とも思うのです。

 
 夏前、8月のコンサート2つは特別な感情が演奏中にあがったものですし、6月のウィンザーのフェスティヴァルの時には、その朝まで空虚で何にも弾けなかったのに、本番ではすごい感情があがってきて、ショパンの幻想ポロネーズの最後は涙をこらえながらの演奏で、終わったら教会の外に出てひとしきり泣いてすっきりしたこともありました。
 ピアノ演奏、という明確な言葉(言語)として発しなくてよいけれど、でも、言いたいことを音で出していくことができて、すっきりとしたのかもしれない、とあの時に思いました。

 これらの感情は、フェスティヴァルの5日前の祖母の死。 私は日本へ行けなくて、一人で耐えるしかなく、あの5日間は教えにはいっていたものの、ピアノをほとんど触れず、触っても指が動いているだけの状態。
 フェスティヴァルも本当にキャンセルしようと思って迷っていましたが、前日に母と話して、弾いて来たら、の一言で結局は演奏して。 あの時、あそこで演奏して良い意味で乗り越えられたのだな、とその夜思うばかりでした。

 バレエを観ていてもそう。 演奏会へ行ってもそう。
 即興ではなく、与えられたものを練習して舞台に上げる。
 それでも、そこにはその人の人生が見えてきてしまう。
 ある演目で、あるダンサーが一皮むけた、というか、今までの彼女にはなかった感情があるな、と思って惹きつけられるように見ていたら、後から、彼女を最初に育ててくれた大事な先生が亡くなった直後であった、ということがありました。

 それまで冷たい踊りの感じがあったダンサーが子供を産んで復帰したら、まろやかな踊りになっていたこともあります。
 
 だからこそ、生の舞台はおもしろいのです。
 私の子供自体の傷は、もちろん音楽とは全く関係のないことです。 が、コンサート中に起こってしまった。
 だからこそ、ピアノで乗り越えられるのか、次の舞台で乗り越えられるのか恐ろしくもある。
 良い方向へ行ったらよいな、と思うばかりです。

 教えている子供たちにも、怒られる、悔しい思いをする、寂しい、うれしい、いろいろな感情を持ってほしいな、と思ってなりません。
 今は、怒られたこともなく、悔しさも持たず、という子供がとても多いような気がしてなりません。

 

Posted on 2015/10/12 Mon. 12:42 [edit]

category: 音楽

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