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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

コンクール当日(3月4日) 

 今回受けたコンクールは、第2回目の開催。
 
 ウェブページを読むと、コンクールは3月4日から7日まで。 そのうち、3月6日は室内楽のコンクール。
 2月27日に、同時開催の講習会のオープニングコンサートがあり、そこで、(どなたかの)くじ引きにより、演奏順の最初のアルファベットが決まり、アルファベット順に演奏を行う。

 申し込み受理の段階で、3月4,5に来られますか?とのことでしたので、3月3日から3泊4日で飛行機を予約してありました。

 27日の夜からドキドキしていた(仕方がない、とはいえども、演奏順が早いことが多くて、なるべく、最初は避けたかった)のですが、1日の夜中にメールがあり、アルファベットは、Oが選ばれた、とのこと。
 
 添付されていたスケジュールをみると、14人中、9番目。 
 私が受けた年齢枠は、予想を超える申込者の数だったので、3月4日に審査を始めます、と連絡を受けていた為、たった14人?しかも1日で終わるし、と思ったのです(このほかに、3つの年齢枠がありました)。
 この時点で、結果発表がその日にあると思ったので、飛行機の変更はできないのですが、買いなおしてもまだまだ安かった為、一日早く帰るように全て変更(今回は、宿泊先も当日変更OKのところにしてありました)。
 
 ただ、さすがドイツ、というか、スケジュールはきっちりとしていて、3人ずつ、演奏直前に15分間で一人5分ずつのリハーサル。 そして、すぐに審査。
 審査員にとっても、一人30分のプログラムですから、1時間半毎に休憩をとれるわけです。

 私は12時45分からのリハーサル枠で、本番は午後2時。
 午後の早い時間、というのは、普段のランチタイムコンサートの時間とも近くて、私には弾きやすい時間です。

 前日に練習室を予約してあって、30分練習してから、リハーサル。
 リハーサルなのに、一部の審査員はそのままホールに残っていたりして疑問の残るもの。
 そして、もっと疑問に思ったのは、ホールのドアに時間割が貼ってあったのですが、この部門、なんと4日間にわたって、55人が受ける。
 私が弾いた3月4日は初日で、その中ではOから始まるアルファベット順でしたが、その後、5日もアルファベット順で。 6,7でアルファベット順。
 いったい、どういう風に4日間に分けているのか?
 あまりにも、謎なコンクールでした。

 30分のプログラムは、古典のソナタの1楽章以上を含む、違う様式の曲による自由なプログラム、とのことでしたので、私は、
 ハイドン: ソナタ Hob.XVI: 42 ニ長調
 フィリップ・マーティン: The Rainbow Comes and Goes(1988年 ダブリン国際コンクール 新曲課題作品)
 ショパン: 幻想ポロネーズ

 幻想ポロネーズ以外が新曲。
 もっとも、マーティンの曲は、昨年12月のコンクールで、1970年以降に作曲されたものが必要だったので、仕上げたもの。
 ただ、あの時には現代曲は暗譜でなくてよかったので、覚えられなくて、楽譜をみて弾く予定でした(結局本選に進めなかったので、弾けずにおわり)ので、今回、というか、本当は2月1日のフェスティヴァルで弾く為に暗譜。
 ですが、結局弾いたのは、今回が初めてです。

 古典のソナタも、1楽章だけ、というのがとても苦手で、あまり弾いたことがない、ハイドンの2楽章形式の短いものをやってみよう、と思って、トリフォノフが前々回のルービンシュタインの予選で弾いている、このソナタを。
 
 リハーサルの時は、舞台の照明の場所の問題で、見事に黒鍵の影が白鍵にありすぎて、目がわからなくなる、という事態に陥り、その後の30分の練習でそれをクリアにして、本番。

本番は、事故もなく、久々にコンクールでやりたいことができる演奏でした。
 今まで避けてきた現代曲も、コンクールでとりあげるようになるとは、私にとっては大きな進歩です。
 ちなみに、フィリップ・マーティンは、私はカーディフ時代にお世話になったこともあり、人の良いおじさん、というのが私が持つ彼に対する感想なので、このような曲を書くのか、と興味深かったです。

 演奏後は、出番が私の前だった日本人女性に飲みに誘われて、街へ。
 といっても、私は飲めない人なので(特に、このように疲れている状態で飲むと、倒れるのが目に見えている)、軽いランチをとりながら。 さすがドイツ、と思ったのが、コーヒーもビールも大して値段が変わらないこと。

 この時いただいた、お豆のスープが非常においしかったです。

 リハーサルを待つ間に彼女が声をかけてくれたのですが、どうやら、最初は私のほうが年下と思ったようです。
が、年齢制限ギリギリ(制限まで5週間)だった私は、よほどのことがない限り、私が最年長。
 彼女が、
「おばさんは大変でね」
 といい始めたので、
「私の方がおばさんだけれど・・・」
 と言って年齢を言って驚かれました。
 ヨーロッパの人に私の年齢を驚かれるのはなれましたが、この頃、日本人をはじめ、他のオリエンタルの人にまで言われるようになったのが問題。

 ですが、昨年いくつかのコンクールを受けましたが、30代の日本人コンペティターに出会ったのは私は初めて。
 彼女は私の3つ下でしたが、サバサバしていて、ヨーロッパも長く(久々に10年越えの同世代に出会いました)、すっかり意気投合。
 カフェで喋って、本当はパリにそのまま列車で戻る予定だったのにこの街に一泊することにした彼女の宿泊先を探しに行き、そして再び街に戻って、パブのようなところで、夜11時過ぎまでひたすらお喋り。

 今回久々にコンクールを受けているものの、10代の頃から大きなコンクールにも出ていた彼女からは、私が知ることができなかった世界を聞けて、興味深い。
 練習、暗譜方法から、東洋人女性が集まると必ずと言ってよいほど話題に上る、毎日の食事、料理の話、共通の知人が多かったので、その思いがけない話などなど。 話は尽きませんでした。 私はロンドンでこのような友達がいないので、コンクールに行って、ピアノの話をできるのも非常に貴重。
 
 お互い、男っぽい性格(あそこに日本人男性がいたら、引きます・・・)でしたが、意外と本番では緊張したり、蚤の心臓であったり。
 彼女の場合は、すでに結婚していますし、地図が読めない、方向音痴、飛行機など移動の調べが嫌い、できない、という女の武器がまだ残っていますが、私は、地図が大好き、方向音痴がわからない、旅行主任の資格を取りたいと思ったこともあるほど、移動手段を調べるのが大好き、という救いようのなさ。

 お互いに変な時間に食事をしていて、パブでも、サラダとチップス(フレンチフライ?)をつまみながら、彼女はビール、私は、よくわからないもの(レモン、という単語はわかった)をあえて頼んだら、レモン汁をお湯に溶かした、という非常に疲労回復に役立ちそうな飲み物が出てきました。
 そして、サラダのドレッシングを選べ、それがなおかつとってもおいしくて、チップスにモルトビネガーがかかっていない代わりに、10種類くらいのソースを選べる、という非イギリス的な食事。
 食の国に住む彼女には、食べ物に味がついていて感激している私の姿が不思議だったようで、イギリスはおいしくない、ということを思い出させてしまったようです。 イギリスもずいぶんよくなりましたが、あのサラダのドレッシング(バルサミコメイン)にはやられました。

 メニューをみても、ドイツ語が分からない私たちは、わかる言葉は音楽で使うような接続詞のみ。
 ですが、フランス語と近いものがあったり、私はスペルが違っても、発音すると英語と似ているものがあったりで、違う言葉を話す二人がいたら、知らない言語のメニューでも解読できることがヨーロッパの言葉はつながっているのだな、という新たな発見であったり。

 他の方の演奏は聴けなかったものの、有意義な時間でした。
 夜のアーヘンの街は、石畳にすてきな街灯がともり、とっても素敵でした。
 

 

Posted on 2015/03/20 Fri. 13:32 [edit]

category: ドイツ

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