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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

音楽、バレエ、イギリス、ロシア 

暑い日が続いています。 でも、湿気はほぼ無いので(イギリス人に言わせると、湿気が高い)過ごしやすいですが。 夕方になって一気に気温が落ちましたが。 気温の変化で久々に偏頭痛。 

 前から疑問に思っていたこと、ここで一つ問題提起です。

 先週から始まった、ロイヤルバレエ、ソロイストの蔵健太さんがこれからジャーニーで連載を続ける『バレエの細道』http://www.news-digest.co.uk/news/content/blogcategory/167/268/ を読んでいて、再び私の頭に上がってきて問題です。

 

上記、ウェブサイトからの抜粋です。

 その特徴の一つと言われるのが演劇性。ダンサーへの指導でも、ストーリーを持った作品を上演するときには必ず言われることがある。「どんな役でも一人ひとりその役のバックグラウンドまで考えなさい」「人が舞台に立つ以上、その人には必ず歴史があり、なぜそこに立っているのか理由があるはずだ」、と。ロイヤルの舞台はいつも熱気に満ちていて、全員が役になりきって演じている。作品のステップを完璧にこなすことももちろん大事だが、踊りの中でハートを伝えたいというダンサーが多い。


 健太さんに限らず、今までバレエアソシエイションのミーティングにいらしたダンサーも何人もがこのようなことをおっしゃっていました。 その度に、そして舞台を観る度に私の中に湧き上がってどうにもならなくなっている疑問。

 それは、音楽とバレエ、イギリスとロシアではどうして反対のことが起きているのだろうか?? ということ。

 私は手ほどきから、修士に行くまでずっとロシア人の先生に師事し、たとえソナタのような曲、裏にストーリーがない曲を弾く場合でも、ストーリーを自分で創作しなさい、と言われてきました。 これは私の師だけではなくて、短期で長い間師事しているモスクワ音楽院のイリーナ先生にも言われてきたこと。 フレーズ一つ一つに意味があり、それを明確にするためには、ストーリーが必要。

 ご存知のように、私はイギリスの音大に通っていたので、毎回、クラスでカーディフ時代のピアノ科主任、その他のイギリス人の先生方ともめるのは、毎回ここ。 彼らは、そういうことが必要ではない、と思っていました。

楽譜に書かれていることをただ弾けばよい、と。

 ではバレエの世界では? 健太さんが書かれているように、ストーリーがあるバレエではバックグラウンドを考えている。 そうでない抽象的な作品でも、私にはダンサー一人一人がストーリーとは限らずとも、腕の動かし方、足の上げ方、上体の動き、素敵だな、と思うダンサーになればなるほど、伝わってくるものがあるのです。 

 別に、そのダンサーが考えていることが完全に同じものが客席には伝わりません。 観客一人一人が違うものを想像するのが普通。 どうしてか、というと一人一人の経験が違うから。

 健太さんも書いていらっしゃいますが、心に伝わった、と観ていた方(聴いていた方)に言われるのは一番の賛辞。 イギリス人はストレートに結構コンサートの後に感想を言って下さいますが、私も、「あなたのワルツからは情景が浮かんできた。 踊りたくなったわ!」なんていわれるのが一番嬉しい。 それが私の求めていることだから。

 3月に日本に帰ってしまいましたが、当時小学校2、3年生だった私の生徒と作曲家は覚えていませんが、『ワルツ』勉強していた時のこと。

 きれいには弾くけれど、それだけ。 という彼女に、

「ちゃんと自分がどんなドレスを着て、どんなお部屋で踊っているのか考えて弾いて。 今のあなたの弾き方だと、鉄でできたドレスを着て、運動靴を履いて何も無いところで踊っているみたい。 旅行に行って、素敵なシャンデリアがかかってたり、豪華なお部屋をみてきたでしょ。 そういうところで踊って欲しいのだけれど」

 とっても短い曲で、彼女なりに考えて弾いた演奏はとっても素敵なものでした。 これだけの言葉で演奏が一気に変わる。 

「今の演奏だったら、あなたがどういうドレスを着て、どういうところで踊っているのか想像できたよ」

と伝えたら、

「どうしてわかるの?」

ときかれました。 もちろん、彼女が想像していたことと全く同じことを私は想像できません。 それは私たちが今までに見て来たものが違うから。 経験が違うから。 でも、何かが伝われば、それはそれでよい、というのが私の考え。

 話を戻し、どちらかというと、今、映像でロシアのバレエ団を観ると、そろっているし、技術的に高いものがある。 でも、彼らが人間の役を演じていても、それは生きているようには見えない。 変な表現ですが、生きているように見えない、というよりも、一人一人の人間ではなくて、バレエ、という中での集団でしかない。

 

 表現、ということでみれば、ロイヤルバレエのダンサーの方が、ロシア系のダンサーよりも表現力が豊か。

これを音楽の世界でみると、ロシアの教育は宗派にもよりますが、私の先生、モスクワのイリーナ先生、同じくモスクワのヴァイオリンのマリーナ先生をはじめ、私がこれまでに師事してきた先生方は顔に表情を出しなさい、とうるさく言っていました。 イギリスの教育ではそんなことはまずありません。 稀にそういう先生もいるかもしれませんが、大多数は違う、といって問題が無いはずです。

 どうして同じ芸術、クラシックの中でも、音楽とバレエではイギリスとロシアが正反対、とは言わなくてもかなり違うことをやっているのでしょう?

簡単に書くと、イギリスのバレエ、ロシアの音楽には共通するものがある。

イギリスの音楽、ロシアのバレエには共通するものがある。

でも、イギリスのバレエとイギリスの音楽は共通しない。

 数学の公式でも当てはまりますか?

 

Posted on 2010/05/25 Tue. 06:57 [edit]

category: 音楽

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