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WITH HOPE!!

イギリスで18年間暮らし、2016年7月に日本へ帰国した、ピアノはロシア系、中身はイギリス、国籍は日本人のピアニスト。 

再会 

 カーディフに住んでいた頃から、私がロンドンで馴染みがあったのは、テムズ川の北側。
 私の師匠は北ロンドンに住んでいらっしゃいますので、先生のレッスンへ伺う時には、北へしかいかないのです。

 テムズ川の南、というのは、川沿いのサウスバンクセンター(ロイヤル・フェスティヴァル・ホールとか)は良いのですが、川が見えなくなると、外国へ来たような感覚。
 
 今夜は、川を越えて、ウォータールー駅から近いところにある、The Warehouseというスタジオ、というか、名前の通りというか、そういう空間にて現代音楽のコンサート鑑賞。

 現代音楽、といっても、シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』と1995年に書かれた曲によるもの。
 シェーンベルクの方は、既に100年経っているわけでして・・・

 私が現代音楽系のコンサートへ行くことは非常に珍しい。
 その理由とは、もちろん、苦手克服をしたい、という思いもありましたが、会いたい人が小編成グループによるこれらの演奏の指揮をしたから。 Facebookで一斉へのお知らせをもらって、今夜は他の会合もあった為迷ったのですが、良い機会なのでこちらへ行くことに。
 もしかしたら、この指揮者以外に会えるかもしれない人がいる、と思ったので。

 指揮をしたのは、私が一番最初に高校生の時に渡英して1年間お世話になったホストファミリーの次男。
 兄弟仲が良いご家庭ですし、ホストマザー、長女、次女、皆さん聴きにいらしていて、長男以外に久々に会うことができました。
 ホストマザーと次女、次男は4,5年前にオペラハウスの入り口でばったりと顔を合わせましたが、あの時は開演ギリギリ、私はメイン劇場、彼らは地下劇場ということで、大してお話もできませんでした。
 あのお宅に泊まりに行かせて頂いたのは既に9年半前の話なので、ゆっくりと話すのは本当に久々。
 
 私は、もしかしたらお会いできるかも、と思って行っていますが、彼らは私が来ることは全くご存じなかったわけなので、非常に驚いていらっしゃいました。
 
 1年間、ホストファミリーの元で生活をするということ、良い思い出だけではありません。
 年齢的にも、状況的にも色々とおありになったし、出ていきたい、と思ったことも一度や二度ではありません。
 でも、こうして何年も経って会って、みんな大人になってまた違う感情で会うことができてよかったな、と思います。
 
 彼らもロンドンとか近郊にいるのに、アレンジして会うこともなく、私も気になりつつも、イギリスにいて近くにいるからいつでも会える、と思うと連絡もしないものです。
 長女には、「みゆきが家に滞在してからもう17年。 私の半生あなたを知っていることになるのよ」
 と、彼女自身がその年月を覚えていてくれたことに感激でした。 
 あの頃、語っていた夢を彼女は実現。 私は、あの時に語った夢とは違う道に進みましたが、彼女とたまに話したいろいろなことが蘇ってきました。
 
 滞在中、月に一度、1週間単位で、ホストマザーのお母様がいらしていたのですが、彼女はとってもお料理とBakingがお得意で、学校から帰る私たちにあわせて、毎日スコーンとか、イギリスの焼き菓子を焼いてくれて待っていて下さり、私は下手な英語でおばあちゃまとたくさんおしゃべりをしたものです。
 時にはBakingを一緒にしてあの時代に多くのイギリス家庭のお菓子の作り方を覚えました。
 
 日本のことなんて何にもご存じでなかったおばあちゃま。 初めてお会いした時は、私が渡英してから1か月ほどの時でしたが、「あなたは、1か月で、もうちゃんとナイフとフォークを使えるようになったのね」 とおっしゃったほど、日本人はお箸しか使わない、と思っていらした方です。 サンドウィッチを食べられることにも驚かれました。
 でも、私との出会いで、テレビで日本のことを放送すると欠かさずご覧になって、次に彼女が泊まりにいらした時には、色々と質問されました。
 
 おばあちゃまは、数年前に、ホストマザーとそれこそサプライズで私のコンサートにいらして下さったことがありましたが、それっきり。
 今回はいらしていなかったものの、お元気だ、と伺ったので、会いに行きたいと思います。
 私が最後まであのホストファミリーの元で頑張れたのは、あの素敵なおばあちゃまのおかげです。

 コンサートって元々は社交場だったわけですし、今回それを非常に実感しました。 
 もちろん、演奏を楽しんだものの、でも、こうして会いたい人に会える場所でもある。

 色々なことを思い出して、あの時に今の英語力があったら良かったな、と思うばかり。
 
 当時滞在していた家は、代々伝わるファミリーハウスだったから、いつでも行ける、と思っていましたが、既に他の方の持ち物に。 当時はわからなかった、あの貴重な場所。
 
 何よりも、結局のところ、私と師匠を出会わせてくれたのは、ホストマザー。
 今日指揮した次男が、元々師匠にピアノを習っていたことにより私は師匠と出会うことができたのです。
 ホストマザーは、私がまだ師匠とつながっていて、しかも、師匠がまだ教えていることに驚いていらっしゃいましたが。 
 彼女も師匠の年齢をまさか当時40代だと思っていらっしゃらなかったようですし、もう教えられる年齢ではない、と思っていらしたようで。 師匠の年齢については多くの人が同じことを考えています。

 

 
 

Posted on 2014/11/21 Fri. 23:24 [edit]

category: 日常

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21

ブルガリア ドブリッチの街2 (9月14日) 

既に2か月近く前のこととなりますが、乗り掛かった舟(?)なので、9月のブルガリア→ルーマニアの続きです(今更ですが・・・)

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 3泊したドブリッチの街には、こうしたキオスクがいくつもありました。
 これも、今まで訪れた東欧の国と共通していますし、このキオスクをみると、東欧に来たな、と感じます。
 タバコ、新聞、お菓子、飲み物、雑誌などを売っていますが、ここでも見かけたのは、SUDOKU。
 どこの国産なのかはわかりませんが、日本生まれ(だそうですね?)の数独が今や世界で。


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 街にはとにかく空間があり、ベンチがたくさんあったのも印象的でした。
 私が行った時は、イギリスは既に涼しくて、ブルガリアは暑くて湿度が高くて、私はコンクール一日目は、体調もおかしく湿度によって偏頭痛。 
 もう少し身体に気候がなじむ時間があったら、こういうベンチでのんびり、というのが一番好きな時間ですが、今回は叶いませんでした。
 

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 教会を見つけましたが、外観がイギリスでみるものとはずいぶん違います。
 残念ながら中には入れず。

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 このところ、いくつかの国へ行って、結構すぐに覚える単語が、『薬局』。
 ブルガリアは、アプティカ。 セルビアもそうだったと思いますし、スロヴェニアもアプテカ。
 国境を越えて、ルーマニアへ行ったら、ファルマシアでした。
 この辺の薬局、という単語一つとっての言葉の境界線も興味あるところ。

 見にくいのですが、注目は、この写真の建物の左側にある、舞妓さんの写真。
 日本人ではなく、東欧人の舞妓さんの写真なのですが、他の薬局でも、この舞妓さんの写真でした。
 非常に謎ですが、非常に興味があります。
 ポスターという感じでもありません。
 どうして、ブルガリアの薬局の壁に舞妓さんの写真なのか。

 

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 コンクールの本選が終わった後、お野菜が食べたくて入ったレストランでのナントカ風サラダ。
 きゅうりとトマトの角切りに、これはセルビアでも食べたのですが、あまりなじみのないチーズがかかっています。
 一番上に乗せてあるトマトがバラの形なのは、ブルガリアならでは??

 

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 夜のガラコンサートが終わった後、このガラコンサートで3位を頂いていたことを知った為、帰りにホテルの近くのケーキ屋さんでケーキを買うことに。
 東欧はケーキ天国。
 日本のような繊細さはないかもしれませんが、このようなケーキはイギリスではフランス系のカフェでしかほとんど買えません。
 
 そんなこんなで、あっという間にドブリッチでの3泊でした。
 
 この翌日が、ルーマニアまでの陸地移動。
 ホテルで伺ってみても、イマイチ交通手段がわからない。 
 インターネットで調べてもLimited。
 私なりに予想を立てて予定は組んでみたのですが・・・ 

 

Posted on 2014/11/12 Wed. 14:08 [edit]

category: ブルガリア

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12

私が日本語をしゃべる場所 

 本日は10日振りのオペラハウス。
 大好きな作品ばかりの、アシュトン作品4つを並べたミックス・ビル。 
 うち、3つは、ピアノがメインの曲。
 このところ、耳が敏感になりすぎていて、ピアノの音によっては耐えられなくなっている為、ビルが始まってからも行っていませんでしたが、今夜、明日でこのプログラムも終わり、私が入団当初から応援しているダンサーがロイヤルバレエならでは、の、《交響的変奏曲》、フランク作曲の同名のピアノとオーケストラの作品に出ている為、やはり見逃せないので、行ってきました。
 この名作が再演されたのは7年半ぶり。 待って待って、ようやくです。 
 今夜お会いしたかったフランスからいらしているお友達は、なんと、1948年以来にこの作品をご覧になったそうです。 1946年の初演の時の真ん中二人(マイケル・サムスとマーゴ・フォンテーン)のことを目を細めてお話して下さいました。 
 90歳を超えても、なお、フランスから年に数回バレエを観にいらっしゃる。 素敵です。

 さて本題。
 10月は中旬に腰を痛めてバレエ鑑賞へ行けなかった為(ピアノの出張レッスンの動きだけでいっぱいいっぱい。 道中+立ち見は不可能)、10月1日にバレエを観た後、次にオペラハウスのメイン劇場へ行ったのは、11月1日。
 10月1日へ行った時は、日本から鑑賞にいらしていた方(それまで全く知らなかった方)と立ち話をして、日本語を話しました。
 それから11月1日にオペラハウスへ行くまで、ピアノの教え、母との電話以外では、日本語を話していないのです。
 11月1日にオペラハウスへ行った時には、ヨーロッパから日本人の友達が来ていましたし、オペラハウスで知り合った日本人の方々に偶然お会いした為、1か月ぶりに、日本語での雑談。
 
 今日は再び、オペラハウスで日本人の方々にお会いしたりもしたので日本語を少々話しましたが、この10日間は、生徒関係以外では日本語を話していません。

 結論。
 私は、オペラハウスへ行かないと、日本語で話す機会がない。

 生徒たちとはほとんどが、ジャパニッシュの会話。
 ジャパニッシュ、とは、ジャパニーズとイングリッシュの中間の言語。
 
 よく、どうすれば英語が話せるようになるのか、とか、大学院時代は、「みゆきさんは英語が話せるから私たちの気持ちはわからない」と他の日本人留学生たちから言われましたが、必要なのは環境。
 私は渡英1年目は、スコット人家庭でホームステイ。
 学校はイギリス人だらけ。
 日本語で助けてくれる人はいない。
 当時は国際電話が高いし、ホームステイなので、日本の家族との会話は、月に1度。
 インターネットも普及していないから、インターネットで日本語の情報をみることもない。
 
 要は、99%英語の環境だったわけです。
 こういう環境だったからこそ、追試だらけの私でも、どうにか英語が話せるようになったのだと思います。
 誰も、日本語で助けてくれないから、どうにかして英語を理解して、理解してもらう必要があった。
 あの当時は、最後は日本語が危なくなりました。

 カーディフの大学時代も、日本人は数人いたものの、それほど仲良くもなかったので、ほとんど日本語を話していません。
 大学院に日本人が入ってくると私は、日本人だから、といって積極的に声をかけるわけではありませんし、それまでで、海外での日本人関係に参ってしまっていたので、関わる気もなかった為、それまでのイギリス人とか多国籍の友達軍団の中にいたので、いつも日本人学生から恐れられていて、数か月経って、「みゆきさんは、日本人なのに声もかけてくれないし、外国人とつるんでばかりいて怖かった」と言われたものです。

 このようなことを考えると、たとえ教えでジャパニッシュであっても、日本語をしゃべっている、ということは当時からすると、日本語量が多い。
 
 オペラハウスへ行くたびに、色々な人から、「みかけないわね。 日本へ帰ったの?」とか驚かれますが、ロンドンにおります。

 オペラハウスは社交場です。
 
  

 
 
 

Posted on 2014/11/11 Tue. 23:55 [edit]

category: 日常

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11

ポピーの日 

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 画像は、BBCのサイトよりお借りいたしました。
 
 11月11日。 第一次世界大戦が終わった日。
 イギリスでは、Remembrace day、通称、ポピーの日、とも言われる日。
 日本の8月15日と似ていると思います。
 
 上記の写真は、今年いろいろと賑わせている、Facebookをみていても、私の周りの友達も結構見に行っている人が多い、ロンドン塔に植えられた、造花のポピー。
 チューブの駅には、私の駅のようにロンドン塔から離れたところでも、ポピーを見に行く人へ、というロンドン塔最寄駅を使うことを避けるように促す表示が貼られていました。

 例年も、この日が近づくと、募金活動に募金し、胸にポピーの造花(日本の、緑の羽根みたいな要領で)をつけていらっしゃる人を結構みかけますが、ロンドン塔のこのポピーは毎年のことではありません。
 今年は、第1次世界大戦勃発から100年。

 一昨日の日曜日は、ロイヤル・アルバート・ホールでブリテンのWar Requiemがうたわれたようですし、私のカーディフの母校も、これを歌ったらしい。

 
 私は、中学2年生の時にしか日本史を勉強していませんし、世界史も、高校1年生の時に全員習得科目としてしか勉強していなくて、高校2、3年生の時は、一般科目受験生が世界史を勉強している間は、私は美術大学進学希望者用に美術室で石膏デッサンをしていたので、非常に歴史を勉強していません。
 特に、どうしても古代からやっていくと、そして、受験世界史のために、高校1年生で最後まで進ませることが無かったため、私は、非常に近代史が抜けている人。 自分で勉強すればよいのでしょうが、その後は、音楽史を勉強することでいっぱいいっぱいでした。

 地方巡業で時間があると、よく、地域の小さな博物館へ行くことがあります。 
 昔の人々の暮らしから、その町のことから、結構おもしろいのですが、必ずと言ってよいほど、戦争に関する展示も。
 私が行ったところは、第2次世界大戦よりも第1次世界大戦を扱うところが多い。
 日本では、第1次世界大戦も勉強したものの、やはりどうしても、原爆を投下された、第2次世界大戦の方が重みがある。
  
 ロンドン塔のポピー、エンターテイメント化しているように思わないわけでもありませんが、見に行けばよかったかな、とも思います。
 あの時代の人たちが戦争で苦しんだであろうに、それでも今もまた戦いが起こっている地域もある。
 私自身の小さな小さな経験を考えても、世界平和、というのは、きれいごとだな、と正直思わずには私はいられません。
 日本は、戦争を教科書上のものにしていますが、それで私もよいと思っていますが、そうでない国もある。
 カーディフの寮時代(音大ではなくて、バプティストカレッジの寮)、過去のことがあるから、日本人の私は、途中から集団で増えてしまった、韓国人学生から嫌がらせもありました。
 
 イギリスの大学でいろいろな国からの学生に出会って、男子は未だにナショナルサーヴィス(兵役)がある国が多くあることも知って複雑だったことも思い出します。

 世界平和は難しい、でも、少しでも戦いがない世界になってほしいな、と思わずにはいられません。
 パレスチナのことで、私にとっては再びイスラエルへ行くことが遠のいてしまいましたし(超個人的理由)。

 
 

Posted on 2014/11/11 Tue. 12:17 [edit]

category: イギリス事情

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グレード試験スタート 

 ハーフタームも終わって1週間。 
 先週から今期のグレード試験もスタートして、私の生徒たちは今日から3週間の間に分散して試験。

 今回試験を受ける子もそうでない子も、この2,3週間の間に一番生徒たちから聞いた言葉は、
 「みゆきがいなければ、上手に弾けていたのに」
 
 あなたたちが宿題の曲とかスケールとかがボロボロになるのは、私のせいか・・・
 
 笑って言われるうちはよいですが、昨夜は、キレたように言われたので(元々態度に問題もある子でしたし)、私も久々にお説教タイムになりましたが。

 そんな中、教え始めて2年半ほどになる女の子。 1か月くらい前に10歳になったばかり。
 彼女はピアノは大好きだけれど、ずっと空回りしてしまっていて、なかなか思うように進みませんでした。
 最初のうちはハイパーすぎて、彼女のレッスンの後にオペラハウスへ行くと、お友達から、憔悴しきった顔をしている、とよく言われていましたし、彼女に対しては、かなり真正面から向き合う、というか、良い意味でぶつかる、というか。
 
 特に初見がなかなか大変で、何度もご両親を交えて話し合いました。
 それが、いつからだったか、初見の課題を非常に熱心にするようになり、今回はグレード3を受験するのに、初見だけはグレード5の課題をかなり良いレヴェルで弾けています。
 
 夏休みに入ったころ、7月から彼女の取り組み方がガラッと変わりました。
 練習量はさほど増えたわけではないようですが、お母様が声をかけなくても、毎日ピアノに向かう。
 お母様は全くピアノの練習をみていらっしゃいませんが(初見が進まなかった時だけは、やったかどうかだけ確認していただいていました)、練習の密度、というか内容が変わりました。

 ノートに書いてあることは必ず直す、譜読みも言ってあること以上を進めてある。
 メトロノームも確実に守り、あれだけ、速く弾きたくて何度も話し合ったのに、ゆっくり正しく弾いていれば、テンポをあげることは簡単、とわかってからは、できていないうちに速く弾くことも弾きたがることもなくなった。
 
 こうなると、一気に上達します。
 この状態が、とりあえず、4か月続いているので、次の大きな壁までは大丈夫かな、と思いたいところ。
 
 が、今回、彼女自身が、たくさん、密度のある練習をした、という気持ちを持っているのでしょう。
 試験の2週間前になって、音を立てて崩れました。
 彼女も私もショック。
 練習をたくさんしたからこそ、上手に弾きたい、という気持ちが強くなってしまって、空回り。 焦るからもっと空回り。
 この気持ちはすごくわかる。
 私だって、コンクールで上手に弾きたい、と思ったら、恐ろしいほど崩れる。
 考えてみれば、学生時代学年末とか卒業試験で高得点を出した時は、ピアノ科主任と犬猿の仲で、どんなに弾けても変な点数しかもらえない、と思って諦めの気持ちで、点数を気にせずに弾いた時。
 
 彼女に、落ち着きなさい、と私の体験談も交えて話しながら、でも、今回は良い結果につながってほしいな、と思うばかり。
 ちょうどこれを書いている今、試験が終わった頃だと思いますが。

 私は師匠とか、日本でのバレエの先生とか、昔ながらの熱い先生方に育てられて、そしてそれが好きだった人。
 だからこそ、今の時代にあわないかもしれないけれど、教えることに関しては、きっと昭和の先生。
 上記した生徒も、最初の1年半は、ご両親にも私の土台作りに時間をかける指導を理解して頂くのに苦労し、何度も話し合っていました。
 でも、それを理解して下さり、それまでは学校の他のお友達よりも進度が遅いと思っていたのに、学校で演奏した時に、良い評価を頂いたり、グレード試験をうける感覚が狭くなった時、ご両親は理解して下さり、今はよい関係に。
  もちろん、理解して頂けず短期間でおやめになった方々もいらっしゃいます。 
 それは仕方がないこと。 ピアノの先生はたくさんいるのですから、自分のペースにあう先生を選ぶのみ。
 
  

 

Posted on 2014/11/10 Mon. 12:11 [edit]

category: 音楽

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ロンドンでちょっと怖い体験 

 暖かかったのも先週末まで。 さすがに一気に冬になりました。 

 昨日は、ガイ・フォークス(Guy Fawkes Night)。 Bonfire Nightとか、花火の日、とも通常呼ばれますが、ガイ・フォークスという男が、ロンドンを火の海にしようとしたところをつかまってその惨事を逃れた、という日(あいまいな記憶)。
 ロンドンだけではなく、イギリス全土で、この日を祝う、というか、花火を打ち上げたりします。
 先週から花火の音が聞こえていましたが、昨夜は、私の部屋からもどこかで打ち上げている花火が見えました。
 
 この時期は打ち上げ花火が売り出され、結構高くまであがる打ち上げ花火を民家の庭であげるので、少々恐怖があります。
 Bonfire(たき火? キャンプファイヤー?)は、私はイギリス1年目、ケント州でホームステイをしていた時に経験しただけです。 
あそこのお宅には、広大なお庭がありましたので、ホスト・シスター、ブラザーのお友達も来て、皆で楽しんだ思い出があります。 あの時、周りに何もないお宅で、お庭の芝生のテニスコートに寝転がってみた美しい星空は忘れられません。

 在英16年と2か月になりますが、私は、これまで街中でスリにあったこともなければ、よく読むような怖い思いをしたこともありません。 これは、イギリスだけではなく、他の国でもありませんでした。
 街中を歩く時は、絶対にぼーっと歩きませんし、極力超旅行者には見えないようにしています。
 そのかいあってか、ブルガリア、ルーマニアでも現地人に道を聞かれました(イギリスほど、外国人が多い国ではありません)。 パリでも、フランス人からメトロの駅をきかれたこともありました。

 先週金曜日、ハーフタームで教えもなかった為(ほとんど日にち変更)、セントラルロンドンへサマーコースで知り合った人のランチタイム・コンサートを聴きにいき、モスクワからのピアニストだった為、そのまま一緒にロンドン観光をしていました。
 とてつもなく、美しい青空が広がっていた日で、二人でフラフラ私お得意の、ガイドブックに載っていない穴場スポットにお連れしながら、最後に、ビッグ・ベンを見に行くことに。
 昼間のビッグベンも良いですが、やはり、暗くなってからのビッグ・ベンは特別。
 
 暗くなってから、といっても、冬時間が始まっているので、夕方5時には真っ暗。
 5時半頃だったと思いますが、私たちは、トラファルガー広場から歩いて、ウェストミンスター・ブリッジへ。
 人がごった返していましたが、まずは斜め下からビッグベンを眺めて、橋を渡って反対側へ行くことにしました(橋の南側からの眺めの方が私は好きです)。
 
 私自身、ビッグベンを間近で下から夜にみるのは、2,3年ぶり。
 
 橋を渡る前、橋にさしかかったあたりで、顔を白塗りにして、チャップリンのような恰好をした男性に、激しく握手をさせられそうになりました。
 ただでさえ、人が凄く、私はわからないけれど、危機管理システムが点滅した為、バッグを抑えながら、身体の前で手を組んで、手を彼に出さないようにしました。
 そして、グリーンにフェイスペインティングして、オレンジ色の長い髪の毛のウィッグを被った2、3人の女性も同じようにしつこい。
 私は、No、と言って彼らの眼を見ないようにしながら、無理やり前に進みました。
 私のすぐ後ろにいたモスクワからのピアニストは、それまでにも、この日はハロウィンで多くの仮装をした人を街中で見かけ、モスクワではみないことだから、非常に喜んでいたこともあり、疑問にも思わなかったのでしょう。
 その前に、コヴェント・ガーデンで大道芸人も見ていました。
 彼は、この怪しい仮装の人たちと愛想よく、握手したりしてしまいました。

 私は、スラれるのでは?と気になってみていたのですが、幸いそのようなこともなく。
 私たちは歩き出して、直後、この3人が追いかけてきて、お金を払え、と。
 Ten、と言われたから、彼はまず10ペンス(18円くらい)を出したら、違う、と。
 10ポンド札を見せられて、これを払え、と言われました。
 
 仕方なく、10ポンド札を出したら、全員に払え、と。
 彼は英語もたどたどしく(この日、5時間くらい私と歩いていたのですが、お互い会話の理解度は半分以下だと思います)、わけわからそうにしていたのを使用し、私もこういう風に観光客扱いされたのをよいことに、英語がわからない振りを通して、人が多かったことを使用して、それ以上出させるわけにはいかないので、腕を引っ張って反対側へ急ぎました。
 人が多い、ということは、それ以上の危害は加えないだろう、と思ったからです。
  
 こういう現場(?)を見たこともありませんでしたし、もちろん、自分がかかわったこともありませんでした。
 
 私からすると、今回、こうして相手に隙を見せてしまったことがショック。 
 そして、彼が快くこの人たちに対応している時、Be Careful!!と言いたかったけれど、英語でいうのは怖かったから、本当はロシア語で言えればよかったのに、そのロシア語の単語もわからなかったことにも反省。
 自分、一緒にいる人の身を守る単語は知らなくてはいけないのだ、と思いました。
 
ロンドンに観光にいらっしゃる方がこのブログをお読みになるのかはわかりませんが、一例として、書いておきます。
 コヴェント・ガーデンなどの大道芸人の方々は、無理やりとか、しつこく、ということはなさりません。
 しつこくされたら、おかしい、ということ。
 
 改めて、身を引き締めていきたいと思います。

Posted on 2014/11/06 Thu. 15:01 [edit]

category: イギリス事情

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